2017.01.16->
彩・ミニ40年史〜激動期編(その1)~
1989年9月8日
▼天神永迫ビルに移転
中洲みたいになってしまった西通りを離れ
静かな天神を求めたら
ここになった。
最初は6階のみだったが
最終的には5・6・7・8階と4フロアーまで拡大。
そのうち「彩ビル」になるんではないかと
噂された。
机上にマックが無い?
まだアナログ時代だったので、ハサミ使ってる!
天井のスピーカーは今の事務所でも健在。
明るくて仕事がやりやすい環境だった。
▼天神永迫ビルへの
移転案内状。
モデルのてんとう虫はスタイリストに
特注で作ってもらった。
なんで「てんとう虫」なのかは
今もって謎。
たぶん黄金虫と勘違いして
小銭を貯めたかったんでは
ないかな?
1991年2月
▼サイパン社員旅行
開放感に溢れる南国は
皆んなをリフレッシュさせてくれた。
太平洋のド真ん中まで行って
トローリング。
さしみで食ったが最高だった。
右から2人目が「自戒」の著者、
釣り大好きだった小野君、うれしそうだった。
1995年7月8日
▼ソラリアホテルにて
第1回目の経営計画発表会を開催する。
以後、会場はソラリアホテルが多かった。
さすがに緊張した。
来賓が両サイドにズラリ!
皆さんいろんな業種の経営者とか、銀行関係の人達。
クライアントは手の内を見せることになるので呼ばない。
▼決起大会は
結婚式なみの盛り上がり。
他社の経営者と話すことで、社員たちも勉強になります。
異業種の仲間が気合いを入れてくれる。
来賓の皆さんは応援に来て下さっているのです。
1995年
▼初めての経営計画書
「彩」のコンセプトは20年前から
現在まで変わっていません。
この時からすでに他社が見本にする様な内容の
斬新な計画書だった。
社員と共に作る計画書だった。
社員と共に作る計画書など
どこにも無かった。
経営計画書を作り、発表会を毎年開くようになって20年、
おかげで会社のコンセプトがブレずに
やって来れた。
彩の今があるのは、皆んなで一緒に
計画書を作り続けた結果である。
1996年
▼5階と6階の2フロアだったが、社員数が増えて
人口密度が濃くなり酸欠状態になったので
すぐ裏にあるビルに分室を開設。
▼会議室
とにかく拡大思考の強い時代で
新しいデザイン会社を創るんだ!と燃えていた。
▼分室には
パッケージ部門とイラスト部門が入居した。
左手の部屋は大村さんがデビューした経理室。
分室を作ったので
人口密度が少し改善された。
1996年10月
▼グアム社員旅行(第1回目)
1997年
▼長期計画を策定した経営計画書
この時に初めて業種別事業部制(スリーアロープロジェクト)の
プランを発表。現在の彩の原形のスタートです。
ヒントはNHK大河ドラマ「毛利元就」の
3本の矢の教えだった。
1本の矢(デザイン)だけではすぐ折れるが
2本目(コピー)3本目(パッケージ)と
束ねると折れない、とのコンセプトです。
▼デザイン事業部、
商品開発事業部、
プランニング事業部、
3事業部制の
案内DMです。
同業他社との差別化をはかり
販路拡大に努力した時代。
1997年
▼どこかの温泉に社員旅行
この当時は皆んなと年齢的に近かったので
一緒になって騒ぎまくっていた。
酒をこぼして畳をぐちゃぐちゃにしてしまったり・・・
この旅館からは2度と来てほしくない、と
言われた。
▼5階6階と2フロアー
このころにはデジタル時代となり、
全員マックを使用していた。
2~3年でアッと言う間に
アナログからデジタルに変わった。
マックも1台100万円ぐらいの時代。
~ 激動期編(その2)へつづく・・・ ~
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